いにしえの傍聴記録:首都圏連続不審死事件11 木嶋佳苗 自らが語る半生 | 高橋ユキの事件簿 #98
こんにちは〜
2012年にさいたま地裁で傍聴した、木嶋佳苗の一審公判。同年刊行『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)ほかの執筆のためにまとめた公判データになります。きょうは私の友人から聞き取った話を少し入れます。
いにしえの傍聴記録
2012年傍聴 さいたま地裁 首都圏連続不審死事件公判 11
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過去の記事
前回から被告人質問です。
【2012年2月17日 第23回公判 弁護側からの被告人質問】
被告人名:木嶋佳苗
罪名:詐欺、詐欺未遂、窃盗、殺人
交際していた男性を練炭自殺に見せかけて次々に殺害したという3件の殺人罪、婚活サイトで出会った男性から金銭をだまし取った、またはその未遂として6件の詐欺・詐欺未遂罪、詐欺被害者の男性の財布から5万円を抜き取ったという1件の窃盗罪で起訴されている。
被告人は全ての殺人について否認しており犯人ではないと主張していた。
【被告人質問 弁護人から】
愛人契約、犬のブリーダー、ピアノ講師で月150万円の収入があったというが……
《シーズー犬を飼っている人たちの交流の場を作りたいと「カインド」設立。愛犬を連れてペット同伴レストランやカフェで集まり話をしたり、飼い方の勉強会等をしていたという。被告人はシーズー2頭を平成8年くらいから飼っていた。カインドはHPを作るようになって会員が100人規模に増えた。途中から子犬の斡旋を始め、利益が出るようになる。HPを始めてからはブリーダーから譲ってもらった子犬を仲介するようになった。その手数料が入るようになったという。手数料は1匹3万円程度。いちばん良かった時で年間数百万の利益があった。スタッフを雇い報酬を支払ってもいたという。一方、愛人契約やデートクラブでお金をもらうことは続いていた。ただ、カインドが忙しくなり地方に遠征に行くようになったためデートの時間が取れなくなったので収入は減ったという。
ZZさんからAさんへ乗り換えた被告人。しかし、Aさんとは、彼が京都の大学院進学をきっかけに別れたという。そして平成10年9月23日、SYと出会う》
ーAさんとは、カインドを通じて知り合ったのですね。
「そうです。私より2歳年下だったので、当時、20歳か21歳ぐらいだったと思います。上智大の学生でした」
ーZZさんとの恋人関係は終わったんですか?
「そうです。ZZさんもカインドに関わっていて知っていたので、Aさんとお付き合いするのでお別れしたいと言いました。ん〜、やはりショックをうけているようでしたけれども……」
ー記録によるとこのZZさんから平成11年頃、あなたの口座に入金があったのは知っていますね。
「はい、知っています。それはあの〜、お互いのものを共同で所有していたので半額出してもらっていました」
(お互い犬を飼っていただけでなくショードッグ用の犬も育てていたので、それにまつわる金を半分負担してもらったという。恋人関係が終わった後も友達として付き合っていた。最後に会ったのは平成13年。その後は電話やメールでやり取りしていた。通話記録にも逮捕直前までZZさんの名前があるようだ)
ーZZさんとは半同棲し、お互いの家族を紹介する仲でしたね。あなたとしても結婚しようと。ただ少しまだ早すぎると。そういう彼に対する気持ちが途中で変わったんですか?
「はい、そうです」
ーどこが好きだったんですか?
「うーん……まじめで……やさしい、実直なところです」
(あんなにいい人はいないから結婚したらいいのにと、会わせる人みんなに言われていたが……途中で気持ちが変わったという)
「東京でいろんな男性と会うようになって、ZZさんに物足りなさを感じるようになってから結婚のことは考えられなくなりました」
ーそれで、Aさんと恋人関係になった。Aさんのことは好きだったんですよね。どんな人でした?
「とても賢くて、うーん……背が高くて……とてもすてきな人でした」
ーカッコいい男性だったんですか。あなたは容姿のきれいな人が好きなんですか」
「特にそういうことじゃないんですけど、東京に来てからは、悪いよりは、いい方がいいな、と」
ーAさんとは結婚を意識していたんですか?
「全くありませんでした」
ーどうして結婚を考えなかったのですか。
「Aくんは当時学生で年下でもありましたし、タイプとしてあまり同世代には魅力を感じないので、結婚相手とは考えられませんでした」
ーピアノ講師の仕事は、そのときも続けていたのですか?
「目黒に住んでた間はずっと続けていました。平成13年春、板橋に引っ越すとき、生徒さんにはやめてもらいました」
ー11年12月ごろの収入はカインド、ピアノ講師、愛人契約やデートクラブも。全部あわせて、いくらぐらい収入があったんですか。
「目黒にいた頃は平均150万円ぐらい、常に出ていました。一切貯金はしたことありません」
ー高級なスーパーで買い物をしていた、そういう生活も続いていたんですね。競馬は続けていたんですか?
「ドッグショーに出るようになってから、開催日が必ず週末だったので、かぶってしまうので、やめました。平成10年にはもう完全にやめました。前に愛人契約を結んでいた方が馬を所有していたので、大きなレースの時に招待されることはありましたけど、ギャンブルとして楽しんでいたということは一切ないです」
(ZZと付き合っている頃はスロットにハマったことはある。ギャンブルはやめたが月に使う金は変わらなかった。日常的に使う衣類がこれまでよりも高級になったという。20代の頃はブランドのバッグを買う事もあった)
ーバッグ以外には何かありましたか?
「宝石は全然興味はないんですけど、アクセサリー…。ブレスレットとかネックレスとかは、たまに買ってました」
ーあなたは料理が好きだったんですよね。食器などでいいものを買ったり?
「はい、愛人契約をしていた方と食事に行くときは高級な店が多かったので、そこで教えてもらったブランド食器を自宅でも買いそろえたりしていました。1枚数万円から…全部そろえると、数十万円ぐらいになることもありました」
ー買い物以外でお金を使う事はありませんでしたか?
「ん〜、……例えばエステですとか、整体ですとか、美容とか健康関係にお金を使っていたことはあります。エステは1回最低1万円はかかっていました。10代のころから通っている新大久保の韓国エステは10日に1回必ず垢擦りとマッサージ。それは30代ぐらいまで続けていました。整体は6000円前後だったと思います」